下郡中のログ庫

下郡(しもごおり)と中(あたる)のログ保管庫

◆ぼくのめがみさま/イグナーツ

 恋をしている。その人のことを考えると胸が高鳴って、その人が視界に入るとそれだけで世界が煌めいて見えて、その人が呼ぶボクの名前は世界で最もうつくしい響きに聴こえて堪らなくなる、そんな恋をしている。

 恋をしている。きらきらと輝いて、ふわふわと甘くて、ゆらゆらと惑わせて、ぐずぐずとボクの思考回路を腐らせてゆく、そんな恋をしている。

 美しいものが好きだ。美しいものを美しいままに時を止めてしまえれば良いのに、と思う。人の身では到底叶わない願い。それならせめて忘れないよう記憶に刻んでおきたいのに、どれだけ願っても、思い出は少しずつ薄れて歪んでぼやけていってしまう。ボクが目にするあらゆる美しいものは不変のままで居てはくれない。

 だからボクは絵を描いている。色を乗せて、重ねて、混ぜ合わせて。記憶を刻む。想いを残す。強烈な感動も、鮮明な激情も、言葉にすると急に陳腐になってしまうから。目のしたものをそのままに、いつでもその時の気持ちを引き出しから取り出して抱きしめることができるように。ボクは絵を描き続けている。

 恋をしている。身も蓋もなく恋をしている。どうしようもなく恋をしている。

 真っ白なカンバスに線を引く。女神さまには到底似ても似つかない、精悍な横顔と、整った、鍛えられた身体の線を引く。もう何枚目になるのか忘れてしまった。今まで描いたものは気に入らなくてすべて捨ててしまったから。見たことのない女神さまと違って、彼は間違いなく目の前にいるのに、どうして上手く描けないのだろう。

 そんなことは露知らず、彼はボクの横で無防備に眠っている。手を伸ばせば触れられる距離で、静かに呼吸を繰り返している。このまま目覚めなければ良いのに。美しいままで、居てくれたら良いのに。彼の息吹を表す色を見つけられないまま、ボクは今日も恋をしている。馬鹿みたいに最悪な、恋をしている。