下郡中のログ庫

下郡(しもごおり)と中(あたる)のログ保管庫

◆残酷/シルヴァン

 群衆は幸福を追求しながら、物語には常に悲劇を求めている。寓話はいつだって数奇な運命を愛しているし、叙事詩は凄惨さをまるで香辛料の如く潜ませることを好む。だとしても――とシルヴァンは笑った。もしこれが歌劇の一幕であったなら、この脚本を描いた劇作家には二度と仕事が来ないだろう。意味不明だ。理解不能だ。低俗で、滑稽で、どこまでも戯けている。だがこれが現実なのだというのだから、本当に、やっていられない。

 辺り一帯が灰燼と化している。熱気をもった風が身体を包んで、鎧の下にじわりと浮いた汗が不快だ。何もかもを吹き飛ばされた、かつて村だった場所には、建物の名残がぶすぶすと煙を立てている。動くものはなにもない。否、正しくは、生き残りが一人いるという。
「まだ年端もいかぬこどもです。井戸の中にいて難を逃れたようで」
「井戸の中に? 自分で逃げ込んだのか」
「いえ。おそらく母親でしょう、蓋をするように井戸の入り口を覆っている死体がありました」
「井戸ですが、こどもが溺れるほどの水量はありませんでした。このところ雨が少なかったこともあり、井戸水も潤沢とはいえなかったのが逆に幸いしたようです」
「なるほどな……。話は出来そうか?」
「は。疲弊と、多少混乱はしているようですが、おそらく問題ないかと。まだ現実感が薄いだけかもしれませんが……」
「とにかく、連れて参ります」
 シルヴァンは鷹揚に頷いて、馬から降りた。静かに目の前の光景を見極める。

 領内に賊が出るようになったのは、おおよそ半年ほど前のことだ。領地の中でも端の方、自軍の監視の目が行き届きにくい村々を襲っては、食料を奪ったり女子供を浚ったりしているならず者共。どこかから流れてきたのか、はたまた潜んでいたのか。少なくとも、話の規模からして少人数ではあるまい。徒党を組んでいるのなら厄介だ。早急に息の根を止める必要がある。
 そう判断し、すぐに騎士団の一部を向かわせたが、空振りに終わった。同じことが四度続いた。どうやら相手方は土地勘があるらしい。そして、略奪行為に慣れている。引き際が鮮やかすぎるのだ。面倒なことになった、とシルヴァンは思った。

 今日もまたとある村が襲われた。命からがら逃げだした村人が近隣の街に駆け込んで助けを乞い、すぐさま領主の館へと早馬がきた。村人は怪我を負っており、間もなく事切れてたという。報せを受けたシルヴァンは再び騎士団を差し向けようとし、しばし逡巡のあと、自らも赴くことにした。これ以上の損害は為政に障る。現ゴーティエ辺境伯として、到底看過できるものではない。
 だが。
「やはり、妙だな……」
 ひとりごちる。村を囲っていた柵は打ち壊され、耕かされた土は無惨に掘り返され、村人どころか家畜の一匹にいたるまで残らず鏖殺された。その上で、火を放たれたのだ。いまだに至る所で燻っている小火が、普通の炎でないことをシルヴァンは既に察していた。魔術師がいる。それも、それなりの手練れだ。
 通報者からの情報で、これまで出没してきた賊と特徴は一致している。だがこれまで、奴らは魔術の片鱗を見せてはこなかった。それに、こんな略奪でも強盗でもない、村一つをまるごと文字通り滅ぼすような真似はしてこなかった

 シルヴァンは野盗と呼ばれる者たちの生き方を正しく理解している。それは昔、士官学校時代に討伐依頼を通じて多く関わる機会があったためでもあるし、実の兄が賊に身を窶した過去があるゆえでもある。彼らは奪うが、一度奪って終わり、とはならない。奪うことは無論罪であるが、賊も生きているのだ。食料を一度に多く奪ったところで、食いつくしてしまえば終わりだし、食べきれないほど手に入れたところで、腐らせてしまっては意味がない。長期にわたって、少しずつ、相手の首を真綿で締めるように、しかし殺さないよう細心の注意を払いながら搾取するのが彼らの生き方だ。暴力を振り翳し、他者から掠め取る。

 では……この村はなぜ滅びねばならなかったのか? 侵略を断固拒絶した? 野盗側にそうせねばならない理由があった? この村でなにがあったのか? この村になにかあるのか?

「シルヴァン様」
 こどもを連れた部下たちが戻ってきた。シルヴァンは思惟するのを止め、そちらを見やる。聞かされた通り、年端もいかぬこどもだ。齢は十になったかどうかというところだろう。薄汚れた、くすんだ色の髪。粗末な麻の服に身を包んでいる。地味な土色の瞳は、涙を湛えていて、今にも泣きだしそうに揺れている。
 ――名前はなんというのか。俺はこの地を治めている貴族だ。賊はなにか言っていたか。分かることがあれば教えてくれ。母親はなにか言っていたか。助けが間に合わなくてすまない。なにか知っていることはあるか。なんでもいい、ほんの小さなことでも。なにか望むことはあるか。お前は大切な領民だ、できるだけのことを約束する。
 予定していた言葉はひとつも出なかった。ひどく固い声色で、シルヴァンは問うた。
「お前、親は」
「しんじゃった……」
「母親と二人で暮らしていたな」
 顔をくしゃりと歪めたこどもは、続いたシルヴァンの言葉に驚いたように目を瞬いた。なぜわかったのだろう、という顔だ。それだけで、充分だった。
「こいつを連れて帰る」
「シルヴァン様!?」
「俺の屋敷でしばらく面倒を見る」
「し、しかし……」
「異議は認めない。着いたら湯浴みと着替えをさせて俺の部屋へ連れてこい」
 部下に端的にそれだけを告げて、シルヴァンは再び馬上の人となった。
「俺はもう少し周囲を見てくる」
 慌てたように、何人かの部下がそれに続いた。こどもの近くにいた兵が、彼になにごとか――おそらく馬車に乗るよう促しているのだろう――話しかけているのを尻目に、シルヴァンは馬の腹を強く蹴った。ぬるい風が頬を撫でる。目に塵が入ったことにして、強く瞼を閉じて滲む視界を誤魔化した。

 あのこどもを連れ帰ってどうするのか。シルヴァンは嗤った。もしこれが歌劇の一幕であったなら、この脚本を描いた劇作家には二度と仕事が来ないだろう。意味不明だ。理解不能だ。低俗で、滑稽で、どこまでも戯けている。だがこれが現実なのだというのだから、本当に、やっていられない。だが、そうしなくてはならないことはわかっている。これは義務だ。あるいは、運命と呼ばれるなにかであるかもしれない。くすんだ赤毛のこども。癖のある跳ねた毛。特徴的な眉と茶色の瞳。こどもは父親によく似ている。父親の、小さかった頃に。兄上の、小さかった頃に。

 あのこどもの名前を聞いていない、と、今更ながらに気づいた。