下郡中のログ庫

下郡(しもごおり)と中(あたる)のログ保管庫

◆シルヴァンがお菓子を手作りするタイプのシルフェリ(お題)

 このところ、幼馴染の弟分が妙にやさしい。いや、やさしいと言うのは少し語弊があるかもしれない。相変わらず素行は尖っているし、口は悪いし(なんせ人の顔を見ればやれ軽薄が服を着ているだのやれ不真面目が歩いているだのと随分な言い草なのだ)、手合わせなんぞしようものなら容赦なく打ちのめしにかかってくる。が、食事の時だけどうにも態度がおかしいのだ。
「今日はフィッシュサンドがあったぞ」
「お、おう。ありがとう」
 先生に呼ばれて三人で飯を食べる、ということは時折あったが、そうでない時のシルヴァンはあまり幼馴染と一緒に食事をとらない。女子を誘っていることもあるし、他の友人たちとつるんでいることもある。士官学校は学びを得て己を磨くための場ではあるが、同時に、将来に向けた顔つなぎの場でもある。少なくともシルヴァンはそのつもりでいる。ディミトリをはじめ、幼馴染連中は皆そういうのが不得手であるので、それは自分の役目だとシルヴァンは考えていた。彼らからしても「近づきやすい」シルヴァンを選ぶことで、最終的に未来の王、公爵、伯爵への縁を望んでいる。無論、未来の辺境伯とも。シルヴァンは来るものは拒まない。だが内に入れるかはまた別だ。そこで篩に掛けられていることに気付けないような愚鈍に用はない。
 ところが、最近はなにも言わなくてもシルヴァンの横にフェリクスが座ってくるので、なかなか目論見がうまくいかない。フェリクスが居ても気にせず果敢に突撃してくる猛者、もとい阿呆もいたが、大抵ギロリとあの氷点下の瞳で睨まれてすごすご退散していく。その辺はまだ見込みがあるほうで、後日、そのフェリクスの悪口をよりにもよってシルヴァンに愚痴ってくる救いようのない馬鹿もいたので、そういった点では篩として役立っていなくはないのだが。今日もわざわざ自分から名乗り出てきた救いようのない馬鹿の名前を脳裏から削除しながら、シルヴァンは、フェリクスからフィッシュサンドの乗った盆を受け取った。

「なあフェリクス? 前も同じこと聞いたけどさ……お前、なんかあった?」
「別に」
 フェリクスの盆には熟成肉の串焼きが乗っている。素っ気なく返事をして、さっさと肉にかぶりつく幼馴染を横目に、まともな返答を諦めてシルヴァンもフィッシュサンドを手に取った。大振りで旨そうだ。盆の上にはつけ合わせのサラダとスープもある。
 いくら自分で取ってくるといっても、フェリクスは頑として譲らなかった。毎度シルヴァンの好きなものを選んで、それに合う副菜もふんだんに盛って戻ってくる。なんだかんだで長い付き合いだ、互いの食の好みくらいは知っているから、任せることに不安はない。が、なぜそんな「親切」をされているのか、分からないうちは諸手を挙げて喜ぶのは憚られた。いっそのこと、これで雑魚の串焼きなんかを取ってくるようであれば盛大に突っ込んで強引にでも理由を聞き出せたのだが、特に不利益を被っているわけでない以上、ただの善意の裏を疑うような真似になりかねない。いや、シルヴァンの経験上、単純な善意だけでこの弟分がこんな行動にでるとは露とも思ってはいないのだが。
「いやさ、お前が俺と一緒に?メシを食いたいって可愛いこと言ってくれんのは嬉しいけどさ」
「だったら黙って食え」
「それならそれでもう少し会話でもしようぜ」
「うるさい」
 取り付く島もないとはこのことだ。が、それだけでないのが厄介なのである。黙々と肉を頬張っているようで、分かりづらいがちらちらとこちらの様子を伺っている。一つ目の腑フィッシュサンドを食べ終えて、スープの殆どを飲み尽くしながら、シルヴァンは(そろそろかな)と心の中でひとりごちる。
「これも食え」
 ――ほらきた。
 ちょい、と皿の隅、フィッシュサンドがなくなって空いた空間に肉が置かれた。フェリクスが先ほどまで食べていた熟成肉である。丁寧に串から外されたそれは、食欲のそそる匂いを醸している。フェリクスがじっとこちらを見つめている。シルヴァンは問いを口にしようかどうか一瞬迷って、結局、ややひきつった笑みを浮かべながら「ありがとな」と礼を告げて肉を食べた。

 そう、これが目下の悩みであった。フェリクスが食事を一緒にとる? 別に構わない。ぶっちゃけちょっと嬉しい。もしや素直になれないフェリクスなりの甘え方なのではないかと初めはそんな都合の良いことを考えたくらいだ。フェリクスが自分の食事を必ず用意してくる? 別に構わない。ぶっちゃけちょっと嬉しい。それだけ彼が自分のことを理解しているということであるし、何か困ることがあるわけでないのだ。分かりにくい、フェリクスなりの愛情なのかと早とちりして浮かれていたあの頃の自分が哀れなくらいで。
 ただ、この、フェリクスの食事を必ず分け与えらえるという行為が分からない。それは肉であったり魚であったり野菜であったりその日によってまちまちだけれど、シルヴァンが食事を半ば食べ終えた頃、必ず見計らったようにこうしてフェリクスが自分の食事を分けてくるのだ。理由を聞いても「食え」の1点張りであるし、不要だと拒否してもただ「食え」としか言わないどころか、足りないのかといわんばかりに更によそってきたのでシルヴァンは諦めた。
 口の中いっぱいに獣肉の香りが広がって、鼻腔を突き抜けていった。旨い。ここの食事は本当に美味しいので、シルヴァンはそれだけでもこの士官学校に来た価値があると思う。「食堂のメシはいまいちだよな」と主に黒鷲学級の生徒の中では噂されているらしいが、聞かなかったことにする。遠回しに祖国の現実を突きつけるのをやめろ。
 シルヴァンが肉を食べ終わるのを見届けて、フェリクスはまた無言で自分の食事に戻った。そうなのだ。理由はさっぱり分からないが、シルヴァンに食べさせたいらしい、ということは分かっている。こうして食事をよそってくるのも常ながら、こうして、食べ終わるまでフェリクスがじっと見つめてくるのも常であった。シルヴァンが思う。何を観察されているのだろう、と。嫌な気分というわけではないが、気になるのだ。というより、気にするなというのが土台無理な話である。が、分け与えた食事をシルヴァンが食べ終えると、フェリクスがなんとも満足そうな――妙に自慢げな表情とでもいうか、してやったりでも言いたげな顔をするのがとかく可愛くて仕方なく、結局、シルヴァンは今日もこうして餌付け(?)に甘んじているのである。

 しかし、突然始まったフェリクスのこの奇行もそろそろ一節に渡ろうとしている。シルヴァンとしても否やはないが、やはり、情報収集や人間関係の構築という点で、食事の時間をある程度自由に使えないのは少し不便だ。せっかく構築した関係も、継続できねば意味がない。そういった点では、幼馴染として長い付き合いがあり、将来的にもほぼ切っても切れぬ縁が約束されていて、かつ、現在のところ順調に恋人として段階を踏んでいるフェリクスに対してはその心配がないので、シルヴァンとしても気楽なものだ。というわけで、とうとうこの日、シルヴァンは話を切り出した。
 できれば元の状態に、せめて一緒に食事をとる機会を半分程度には減らしたい。それができぬというのなら、せめて現状の理由を聞かせてくれ、と。……というか今まで理由も聞かず聞かされずで、付き合っているなんて良い彼氏だろう俺は、と自画自賛をしつつ。

 シルヴァンの申し出をフェリクスはやや憮然とした顔をして聞いていたが、一応、その理由に納得はしたらしい。聞きようによっては、付き合っている相手に対して「女性をナンパする時間がとれないので会う時間を減らそう」と言っているにも等しいのだが、シルヴァンはそこを取り繕うようなことをしない。女子ばかりではないから、などと、わざわざ誤魔化すような言い回しをする方が愚の骨頂だ。フェリクスのことを好いているが、だからといって女子を情報源にしない理由はない。これが自分の甘えだという自覚も、シルヴァンにはある。その上で、ごく当たり前のこととしてひけらかしている。相手の好意に胡坐をかく生き方は碌な結果を生まないと、分かってはいるのだが。
 提案された二つの選択肢のうち、フェリクスがとったのは意外なことに後者であった。
「食欲と性欲は、連動しているんだそうだ」
「…………はい?」
「どちらかが満たされていると、もう片方も満たされることがあると聞いた。つまり、お前があのように軽薄で、漁色に走り、いつまでたっても不埒なのは、腹が満たされていないせいなのだと」
「…………ごめん、お兄さんちょーっとお前が何言ってるかわからない」
 ようやく観念したらしいフェリクスが語るとことによると、つまりこうである。シルヴァンの悪癖を改善させたい。性欲が満たされているのであれば緩和されるのではないか。そういえば食欲と……と、まあ、こんな具合であったと。
 で、実際のところそれも建前であったらしく。本音のところは、
「……夜のお前がしつこいから」
 であるらしい。シルヴァンは頭を抱えながらその場に突っ伏した。それならお前が満たしてくれたらいいじゃん、と言いかける直前であったので。食堂の机は優しくシルヴァンを受け入れてくれるなんてことは当然なく、ゴン、とわりにデカくて痛そうな音が食堂の喧騒に混じって消えた。

「まあそんなわけでさ、」
 シルヴァンは牛乳と卵を混ぜ合わせたものに小麦粉を篩いながら言った。
「とりあえず、食堂での食事とは別に間食をこまめに取ることで、満足感を得ていこうかと」
「……そうか」
 菓子作りを教えてくれと突然押し掛けてこられて、女にでもやるのだろうかと言う通りに応えてやったらこれである。ドゥドゥ―は何と言っていいか分からず、ただ静かに相槌を打った。果たして今のは惚気話だったのだろうか。そもそも、二人が密かにそういった関係であったことすらドゥドゥーは知らなかったのだが、ごく当たり前のような顔をしてシルヴァンが語るので、尋ねる機会を完全に逃している。彼は寡黙で誠実な男であるから、もとより他者に言いふらすような真似をする気はないが、己の主人に対しても口を噤むべき案件なのか判断しかねていた。
 そんなドゥドゥーの困惑をよそに、シルヴァンは手馴れた様子で菓子作りを進めている。
「シルヴァン。これだけ慣れていれば、わざわざおれに作り方など聞きに来る必要はなかったのではないか」
「え?なんでだよ。言っただろ、教えてくれって。初めてなんだからさ」
「……そうか。お前は、器用だな」 
 ドゥドゥーは心の底から賞賛を送った。実際、ドゥドゥーが彼に教えたのは材料と分量、そして作り方の手順だけである。説明する間シルヴァンはメモも取らず、ふんふんと聞いていたので、いざ作る際には己の補助が必要なものだと思っていたがとんでもない。「こんなものかな」とひとりごちながら、目分量でてきぱきと手順を進めてゆくシルヴァン。その才をある意味、捧げられているあの男は――フェリクスは随分と幸運なことだ。二人とはいずれも仰ぐ主君は同一であるが、ドゥドゥーが己のすべてをディミトリに捧げているのとは異なり、彼らは寄り添いながら主君を扶く両雄となるのだろう、きっと。
 ドゥドゥーは、放っておいても大丈夫そうだと安心して、夕食の仕込みに取り掛かることにした。きちんと軽量し、細かいところに気を配り、ひとつひとつ確認しながら進める自分とは随分やり方が違うが、それはシルヴァンの一種の才能であるだろう。勉学においても格技においても、そして周旋の才をも持ち合わせているこの男は、どうやら菓子作りにもそれなりの才を開花させたようだった。

 そして、後日。
「悔しいほど旨いな……」
 フェリクスは憮然とした顔で呟いた。その手はもくもくとシルヴァンの作った菓子を口に運び続けている。シルヴァンはにこにこと、或いはでれでれといった様相でその様を眺めている。フェリクスの食欲が満たされたら、今度はお礼に俺の「食欲」も満たしてもらわないとなあ、などと考えながら。
「美味しく美味しくいただきます、ってね」