下郡中のログ庫

下郡(しもごおり)と中(あたる)のログ保管庫

◆ゾルタンの剣/フェリ+先生

 先生は困惑していた。生まれてこの方傭兵以外の生き方を知らない身で、ひょんなことから士官学校の教師になったはいいものの、当たり前だが苦労の連続である。授業の仕方から戦闘の指揮、生徒のメンタルケア辺りまではまあ理解できるものの、どうして落とし物センター(仮)をやらねばならないのか。それ以外にも栽培だの合唱会だの食事に使うための魚釣りだの――その食事は食事で各生徒の好みと対人関係を把握して――とまあなんとも苦労しているのだ。自室でならゆっくり寛げるかと思いきや、脳内のじゃロリが話しかけてくるのでおちおち自慰もできやしない。
 唯一の癒しは犬猫と戯れること、唯一の救いは食事が美味い上に無料なこと、最近だと唯一の娯楽が武闘大会である。教師である自分が出られないのは不服ながら、観戦席から、自分が仕込んだ生徒がガンガン勝ち抜いていくのを見ているとスッキリする。ついでに賞金と武器ももらえるんだから一石二鳥とはこのことだ。

 今月も剣術大会があるとかで、先生は迷うことなくフェリクスを出場させた。生徒としては正直、座学は放棄するわ口は悪いわ、その上知り合い意外とはコミュニケーションをとろうとしないわで問題児もいいとこなのだが――なんせ着任してからこの数か月、剣を交わすか交わさないか以外の会話をついぞ彼としたことがない――武術の腕は確かなので。
 ついでに言うとそんな彼には世話を焼くkawaii幼馴染がいる。悔しい。
 彼も彼で、普段はなれ合いは御免だとばかりに距離をとる癖に、こういう時は乗り気でむしろ何故自分を選ばないのかお前の目は節穴かといわんばかりの圧を背後から向けてくる。こういう分かりやすいところはちょっと、かわいいなと思わなくも無い。気まぐれな猫みたいで。そう言ったら、「あれはそんな可愛いものではないと思いますが……」と件の彼女には言われた。ついでに彼女ではないらしい。そうなのか。良かった。先生と結婚しよ。

 それはさておき、見込んだ通りフェリクスは順当に勝ち進んでいって、あっさり優勝をかっさらった。やったぜ賞金! そして鋼の剣+! ほくほくとそれを懐に仕舞おうとしていたら、フェリクスがいつもの不機嫌な顔でこっちへやってきた。別の幼馴染曰く、「あれは結構機嫌がいい時の顔ですね」らしいが全然わからん。ついでに言うとそいつは男だし、最近なんか「ころしてやりたい」とか面と向かって言われて普通にこわいのであんまり近寄りたくない。
 そんなどうでもいいことを考えていたら、フェリクスはもう目の前に来ていた。なんだ。まさか打ち合えとか言うんじゃないだろうな。さっき五連戦したっていうのにどれだけ元気なんだ。あるいは剣術馬鹿か。先生、傭兵だからそういうの嫌いじゃないけど。
「……その剣を寄越せ」
 まさかのカツアゲである。
 びっくりしてちょっと思考が止まったけど、とかく表情筋が動かない質であったので表面上は不自然に見えなかっただろう。ていうかなんで剣。いや、優勝したのはフェリクスなのだし、よく考えたら担任教師が賞金と商品もらうのっておかしい気がする。生徒、ただ働きもいいところだ。無論彼らにそんな意識はなく、ただMVPの草みたいな枠に囲まれることを純粋に名誉として喜んでいたり、それに至った指導をしたことについて感謝を述べられたりするので――あれ、やっぱりこれって教師のいいとこどりではなかろうか。
「代わりにこれを貸してやる」
 こっちの答えなど聞かず、フェリクスは先生の手から鋼の剣+を奪っていった。そんな殺生な。確かに先生、剣術レベルは追い抜かされててまだDだから鋼の剣振るえないし、うちの学級だと今のところ扱えるのフェリクスだけだから結果そうなるとはいえ、生徒にカツアゲされて黙っているのも情けない。
 手の中の剣を握りしめ、一言もの申さんとして、……あれ、なんで剣を持ってるんだ自分。しかもなんか滅茶苦茶上等なやつ。手品?
名工ゾルタンの作だ。……いいか。貸すだけだからな。きちんと扱え。ただし……お前の管理下で、それを誰に振るわせようが自由だ。貸したものだからな。一時的とはいえ、所有権はお前にある。好きに使え」
 ゾルタンって誰? とか、又貸しの許可ってどういうこと? とか、そもそもなんで貸してくれたの別にいらんけど……とか、言いたいことはいっぱいあったがフェリクスはさっさと踵を返してしまったので、先生は仕方なく「貸された」剣を輸送隊に放り込んだ。

 いや、だって知らんけど名工とか言うし、フェリクスはああ見えてなんかめっちゃでかい貴族の嫡子だと聞いたからこの剣もたぶん傭兵の稼ぎなんか軽く吹っ飛ぶような価値があるものだろうし、もしうっかり傷とかつけてなんか言われても嫌だし。そもそもこんな最上の剣、剣術レベルがAくらいないと碌に扱えないだろう。武器に振り回されて命を落としたのでは笑い話にもならない。武器防具は秀でたものを使うべきだが、それ以上に、身の丈に合ったものを使うべきなので。先生、傭兵だったからそのへんはきちんとしているのだ。
 だから後日、「なぜあの剣を人に貸さない!!!」とよく分からない理屈を振りかざしてフェリクスが自室に怒鳴り込んできた時も冷静に理由を説明して帰した。「えらく不服そうにしていたがなにがあったのか?」と、彼の更にもう一人の幼馴染――いやこいつ幼馴染多いな仲良しかよ――に聞かれたけどさっぱり理由は分からなかったので、彼の幼馴染であり自分の生徒でもある王子様と並んで首を傾げた。

 ……なんて。そんなこともあったなあ。
 先生は久しぶりに輸送隊の中身を整理しながら、転がり出てきた名工ゾルタンの剣を見て懐かしさに目を細めた。あれから5年以上の月日が経っている。生徒たちはもう自分の「生徒」ではないけれど、いまだに先生と慕われるのは悪い気はしない。皆、強くなった。いまなら剣術レベルもこの、最上と呼べる武器に相応しいほどの力をもった生徒も少なくない。
 もしかしたら、フェリクスはいずれ、こんな日がくることを考えて……? いや、いくらなんでもそれは買いかぶりすぎか? 彼も随分丸くなったが、それでもまだ時折ツンケンと見える針ネズミみたいなところは変わらない。いまやそれが可愛くもあるけれど。
「よし、決めた」
 フェリクスに使ってもらってもいいが、折角、彼から「貸された」剣だ。本人の手に戻るより先に、誰かの手に委ねるのも悪くないだろう。とりあえず、剣術に秀でた生徒たちを呼んで彼らの中で希望する者がいれば優先して……
 そんなことを考えながら、先生は、ゾルタンの剣を片手に一歩を踏み出した。その途端、あ、とつぶやく。
「……ディミトリだけはメンバーから外しとくか。あいつの紋章発動して壊したら、フェリクス絶対おこるもん……」

 後日、ペガサスの上でイングリットがぶんぶん振り回している剣がいつか自分が先生に貸したゾルタンの作だと気付いたフェリクスが、「なぜイングリットに貸した!!!!?」と自室に怒鳴り込んできたがきちんと理由を説明して帰した。お前の剣を思いやっての選択なのだ、と。フェリクスはなんとも言えない表情をしてしばらく口をもごもごさせていたが、やがて肩を落として帰っていった。先生は思う。親の心子知らず、教師の心生徒知らず、と。