下郡中のログ庫

下郡(しもごおり)と中(あたる)のログ保管庫

◆舞台の上の貴女


 私の初恋は、美しく、気高く、悍ましい獣の姿をしていた。それは、女のカタチをしていた。

 帝都に拠点を構える有名な歌劇団が、新しく大きな歌劇場をつくって、拠点をそこへ移すことになったという。少女であった私にそれを教えてくれたのは、八百屋の女主人だった。
 普通の女性の倍はあるのではないかという程ふくよかな横幅を持つ彼女は、商売人であったけれどあまり阿漕なところがなく、気風の良い女性だった。損得だけで人付き合いをしていては最終的に損をする、とよく口にしていた。その言葉通り、平民の娘にも、スラムに居るような孤児にも、彼女は等しく接した。きっと子供が好きだったのもあるだろう。彼女は痩せぽちの私にも親切で、時折、廃棄前の果実などを気紛れにくれることがあった。熟れすぎの果肉は指が沈むほどに柔らかく、匂い立つような甘さと滴る果汁はいつでも私を潤した。そんな日はいつもより、少しだけ、上手に声が出せるような気がした。
 歌うことが好きだった。それだけだった。天賦の才があるでも、類まれなる美貌があるでも、目を引くような魅力があるでもない、少女の私。
 新しい歌劇場は大々的にお披露目をされて、高位の貴族やら豪商やら、噂では(真偽のほどは分からないけれど)時の皇帝まで足を運んだという。勿論、帝都に住む多くの人たちも歌劇場に、正確にはその前の広場につめかけた。歌劇場の完成を祝って色とりどりの花弁が舞い、数日に渡ってお祭り騒ぎだったらしい。らしい、というのは、私はその場に行かなかったからだ。どうせ行ったって歌劇が見れるわけでもないのだし、と自分に言い聞かせて。みすぼらしい子供は熱狂する大衆に押しのけられて終わりだろう、という諦念のもとに。 
 歌劇場前の広場には新しく大きな噴水ができていて、そこは帝都の民にとって新たな憩いの場所となった。その結果、帝都の少し外れ――歌劇場からみてちょうど裏手側、やや治安の悪い地域と通り一本挟んだ場所にあった旧い広場と小さな噴水は、すっかり寂れてしまった。それは、私にとって都合が良かった。誰も見ていないのをいいことに、噴水に足を浸しながら、好き勝手に歌った。小さな私の、小さな幸福。
 かつて陽の当たる穏やかな広場は、今や巨大な歌劇場の陰に覆われてしまって、花壇の花は悉く萎れてしまっている。私はそこに咲く一輪の花だった。

 それをぶち壊した嵐は、女のカタチをしていた。そのひとは、今まで私が見たことのある大人の女性の中で、もっとも化粧が濃くて、もっともあでっぽい体型をしていて、もっとも露出が高い服を着ていて、それらが驚くほど似合っているひとだった。
 そのひとは歌劇団の歌姫だと名乗った。
「ミッテルフランク、歌劇団……?」
「ええそうよ。そこへ、貴女を勧誘しにきたの、アタクシ」