下郡中のログ庫

下郡(しもごおり)と中(あたる)のログ保管庫

◆茶会のすゝめ/金鹿?

「…………」
「………………」
 地獄みたいな時間だな、とクロードは思った。まだ事が始まってそれほど経っていないのに、既に帰りたくてたまらなかった。ちらと隣を見ればユーリスの顔にも『地獄みてぇな時間だな』とわかりやすく書いてあって、二人はしばし見つめ合ったあと、同時にため息をついた。

 このところ、彼らの担任教師はお茶会にご執心である。
 クロードが聞き取りしたところによると、黒鷲の学級のフェルディナントと我が学級のローレンツ――名門貴族の嫡子にしてお茶会を愛してやまないふたりから、茶会の作法を手ほどきされたらしい。彼らの縁を取り持った礼だかなんだかで。
 まぁ別にそれは良いのである。クロードも何度かお呼ばれした。先生はいまいち表情筋がしんでるせいで分かりにくいが、茶をしばくのを楽しんでいるらしいことは伝わってくる。

 しかしだ。出撃も講習もせず、散策しても食事も釣りもせず、とにかく茶会に熱を注いでいるはどうなのか。週末の過ごし方は担任の裁量に任されているとはいえ、いくらなんでも偏りすぎである。ヒルダなんか、はじめこそ「楽だしあたしは大歓迎~」とはしゃいでいたけれど、それを聞いた先生から同日に5回茶会に誘われたあとから一切の口を噤んだ。ほかの級友についても大抵同じ目に一度は合っている。最近我が学級に加わったアビス勢もしかり。お蔭で学級全員誰が選ばれても他学級にトリプルスコアつけて優勝できるくらいには魅力があがりまくりだ。
 クロードもとうとう面倒になって、このところ毎度遠慮なく遅刻していっているのだが、毎度先生は黙って待っているので逆にこっちの心が折れそうになってきた。

『茶会もいいけどよお……腹も膨れねぇし、オデはそろそろ戦いもしてぇな』
『ボクはお茶会は楽しいですけど……確かに、このままで騎士になれるのかはちょっと不安ですね……』
『実戦に勝る経験はありませんよ。傭兵だった先生こそ、そこは理解していると思っていたのに。残念です』
『貴族の作法だかなんだか知らないが、そんなことより稽古つけてくれないかな』

 そんな声がぽつぽつと聞こえるようになり、そんななか、とある生徒が他学級への移籍を決めた。同盟領の北方、ちいさな子爵家の嫡子だった。嫡子ではあるが後妻の生んだ子供が優秀だとかで、士官学校である程度箔をつけて実家に戻りたいという願望があり、今の学級ではそれを得られないから、というのが理由である。その手があったか、という言葉が学級の主要メンバーたちの顔に浮かんだのを見て、クロードはとうとう「これはまずい」とはっきり確信した。
 その日の晩には先生の部屋へ向かい、現状を語り、どうにか考え直せと説得に説得を重ねた。
 先生は一言、
「わかった」
 と頷いたのでやや安堵していたのだが。
 翌日、教壇に立った先生の言葉で、クロードは昨晩己が費やした熱意と弁舌と時間がすべて無駄であったことを嫌でも理解した。

「茶会は良いものだ」
 教室を見回し、先生が厳かに宣言した。うんうん、と頷いているのはローレンツただ一人である。(かく言う彼も、それはそれとして士官学校の教師としての責務は果たして貰わねば困る、とは思っている。むしろ、茶会の間、最も熱心に先生を説得し続けていた生徒であることをここで言い添えておく)
 だから、と先生が薄っすら微笑んだ。
「皆にも茶会を開いてもらえば、この良さが伝わると思うんだ」
「……なんて?」
 先生の表情筋息してたんだとか先生の笑ったところ初めて見たとか、そういった衝撃は刹那で彼方へ吹っ飛ばされた。
 唖然とする生徒たちを前に、先生はまだ何事か語っていたが、正直ほとんど耳に入ってこなかった。あれよあれよという間に生徒たちは先生お手製のくじ引きを一枚ずつ引かされ、クロードも、折り目の付いた真っ白な紙を見てようやく我に返った。恐るべき手際の良さである。
 赤い印のついた紙を引いた者が茶会を催し、青い印のついた紙を引いた者がお呼ばれする、それをもって生徒間の交流を深め――ついでに茶会の良さを「その身で学べ」というのが先生の意図するところであるらしい。
 それは一理あるな、とクロードは思った。
 先生の茶会狂いは目下の大問題ではあるが、それによって、生徒たちが先生という個人に心を開いたのは事実である。未だ、なんだかんだで学級移籍者が一人しか出ていないのも、先生に懐いている生徒が多いからに他ならない。級長を務めるクロードにはもとよりその選択肢はないのだが、もしそうでなかったとしても、やっぱり「先生がいるから」を理由にここへ残っただろうとは思うのだ。

 さて、以前よりの馴染みが多い青獅子の学級や、貴族間の繋がりが顕著な黒鷲の学級と異なり、金鹿の学級はわりと同盟領全域からの寄せ集めというか、昔馴染みなどそれこそラファエルとイグナーツくらいのもので、そこにアビスから更に人を引き抜いてきたものだから、なかなかの混沌を極めていた。どちらかといえば仲の良い学級だとは(級長の贔屓目で)思うものの、一度も話したことのない生徒同士もいそうではある。
 生徒間での茶会。ローレンツなどはそれこそ件のフェルディナントを誘ってしょっちゅう催しているようだし、ヒルダをはじめとした女子勢も個人的に楽しむことがあるようだが、先生のように皆を平等に招くことはない。フォドラでは基本的に茶会=貴族の嗜みという認識が強いからだ。平民でも、イグナーツなどは作法は完璧だろうが、では誰かを誘って催すか?といえばそうはならない。
 その点、天運任せのくじ引きで主客を決めるのは、親睦を深めるという面において、わりとありなのでは? クロードが前向きに事態を受け止めようと努めた。

「おーっほっほっほっほ! どこのどなたか存じませんが、私の完璧なる茶会に招かれる幸運、感謝すべきですわね!」

 コンスタンツェが高笑いしている。彼女の手には折り目の付いた白い紙――中に赤で印がつけられている――が握られていて、クロードは自分の手元の白紙にちょっとだけ感謝した。親睦を深められているかどうかでいえば、元帝国貴族にして現アビス住人である彼女は、おそらく学級内でクロードと最も親睦が深まっていない相手であるのだが、では彼女と一対一で茶会をしたいかと聞かれるとなんとも言えないので。
 とはいえ元子爵令嬢の彼女である。本人の言葉通り、茶会の作法は完璧だろう。今更ながら、決まりなど何もわからない平民が赤印を引いてしまうよりはよほど「当たり」で……
「特別に、虹色に光る紅茶で持て成して差し上げますわ!」
 ……いや、少し不安になってきた。大丈夫なのか?
 そもそも、紅茶が虹色に光ることになんの意味が……?
 困惑を隠しきれないままクロードがコンスタンツェの方を見ていたら、ふと、その隣で同じような顔をして彼女を見ていた男と目があった。ユーリスである。アビスの頭目のようなことをしている男で、一応、引き抜かれてきた生徒たちの纏め役も請け負っていた。
(あんたも苦労してんだな)
(そっちよりマシだがね)
 目線だけでさっと会話をする。
 こちらもそこまで親交があるわけではないが、人となりはある程度把握していた。互いに。腹に一物抱えているのはお互い様だ。それを突き合って暴き合うような関係ではない。それはそれとして、表面上の会話を楽しめる程度の懐の深さがある。互いに。

 いつか、この男を誘って茶会を催すのはアリかもしれないな。クロードがそんな詮無いことを考えたその時、
「あのう……」
教室の端の方で小さな声がおきた。
おずおず、といった様子で席から立ち上がったのはマリアンヌである。彼女の手には折り目の付いた白い紙――否、青で印のついた紙!
「私……」
 あ、これ絶対断るやつだ。クロードは瞬時に悟った。マリアンヌの性格上、赤青どちらであっても同じ結果になっただろう。先生の意図とは反目するが、ここは彼女の意を汲んでやるべきか、いや級長として、良い機会だと彼女の背中を押してやるべきか。
 先に結論を示しておくと、クロードのその思いやりはどこにもいくことはなかった。
「あら!貴方でしたのね、私の茶会に招かれる栄誉を引き当てた幸運な方は!」
「いえ、その……」
「マリアンヌ、でしたかしら? 家同士の関わりはありませんでしたけれど、エドマンド辺境伯の弁舌の素晴らしさはヌーヴェル家としても一目置いておりますのよ。娘である貴女とお話できるのが今から楽しみですわ」
「でも……私は……」
「けれどお楽しみは後にとっておくもの。折角の機会ですもの、親睦を深めるのは茶会の日までお預けといたしましょう。どうぞ楽しみに待っていらして! 私特製の、虹色に光る紅茶をご馳走しますわ!」
「はあ……そうですか……」
 コンスタンツェは始終ご機嫌だ。話をまったく聞いていない。マリアンヌはますます俯いた。すべてを諦めた顔をしている。陰と陽が衝突事故を起こして教室の隅で小規模な爆発を起こしていた。
 クロードはユーリスを見た。ユーリスもまた、クロードを見ていた。二人の顔にはまったく同じことが書いてる。即ち。
(――これ、本当に大丈夫か?)

 そんなわけで、二人は偵察――もといお茶会を見守りにこうして連れ立ってやってきて、中庭の垣根の隙間からこそこそと様子を覗き込んでいるのであった。視線の先には、机を挟んで向かい合って座るコンスタンツェとマリアンヌ。ふたりの間にはおいしそうな茶菓子と香り良い湯気をくゆらす茶。秋の訪れを感じさせるものの、降り注ぐ日差しは暖かく、絶好の茶会日和であった。
「…………………」
「…………………………」
 そう、ここは明るい中庭。
 きちんと時間通りにあらわれたマリアンヌを迎えたのは、俯き、どんよりとした空気を纏ったコンスタンツェであった。
 彼女はマリアンヌを見るとまず呼び出したことへの謝罪を行い、自分などに満足のいく持て成しが出来るはずもないと卑下し、折角来てくれたのだから楽しんでいってほしい、己は給仕に徹する、貴重な時間を使わせて申し訳ない、と告げてそこから微動だにしていなかった。マリアンヌはそれを静かに聞き、乞われるがままに座り、そしてそこから同じく微動だにしていなかった。
「…………」
「………………」
 地獄みたいな時間だな、とクロードは思った。ちらと隣を見ればユーリスの顔にも『地獄みてぇな時間だな』とわかりやすく書いてあって、二人はしばし見つめ合ったあと、同時にため息をついた。