下郡中のログ庫

下郡(しもごおり)と中(あたる)のログ保管庫

◆大河に沈む/フェル+ロレ

「想いを寄せる相手がいるのだ」
 フェルディナント君が凪いだ声でそう言った。欄干に先れかかり、大河を眺めるその横顔は、風に煽られた長い髪が遮っていて表情が分からない。
 我々は共同戦線を張るが、味方同士という訳ではない。互いに、敵の敵であるという共通認識があるだけだ。戦争という現実の前に、我々が以前学友であったことも、その中でも彼とは特段馬が合ったことも、関係ない。そんな事は彼とて十二分に理解しているだろう。その上でなお、決戦を目前にした今日、『少し話さないか』と単独でこちらの陣地に訪れたことには少々驚いたが。

(…最後に会ってからもう五年にもなるか。)

 風の噂に、随分苦労したと聞いている。宰相であった彼の父は蟄居を命じられ、その地位だけでなく領地も取り上げられたとか。息子である彼も自領に戻る事は叶わず、こうしてただの一将として、ここに派遣されている。むしろそんな彼に未だエーギル星騎士団に所属していた連中の殆どが付き従っている、その事実が驚異的であった。随分と、慕われているものだ。
 記憶より少し伸びた背と、それ以上に目を惹く随分と伸びた髪。けれど、突然現れた帝国将へ向ける部下たちの警戒の視線をものともせず、真っ直ぐこちらを見やる彼の、意志の強い瞳はかつてのままだった。だからだろう、気が付けば『構わないよ』とごく自然に応えていて、こうして二人、帝国の一将と同盟領の一将が、何をするでもなく足元を流れる大河を眺めている。

 何故会いに来たのか、と問うた僕へ、彼が返した言葉がそれだった
「私は帝国を愛しているし、民を、未来を、守る為に此処へ来た。ただ、こうして此処に立つ理由の一つに、守りたいものの一つに……その想いがあることを。なんとなくだが、君には知っておいて欲しい気がしてね」
 ――分かるよ、その気持ち。
 思わず口からまろび出そうになった言葉を、 すんでのところで呑み込む。そうそう言えもしないことだ。慌てて、取り繕うように適当な言葉を繰り出した。
「……君ほどの男にそこまで想われて、喜ばぬ相手は居ないだろうね」
「さて、どうかな。一生告げるつもりはないし、勘づかれるつもりもない」
「……そうなのかい」
「彼を困らせたいわけではないからね。けれど、秘めておく分には、誰に迷惑がかかるものでもないだろう?」
 さらりと、まるでなんでもないことのように告げられた言葉は決して看過できないもので、僕の喉がひゅっと鳴った。まるでそれに応えるかのように、刹那、風が弱まってフェルディナント君の横顔が僕の眼前に晒される。愛おしい相手がある者の瞳だ。慈しむことを知る者の瞳だ。ひどく柔らかなその表情で、彼を、と先程口にした。それですべてを悟ってしまった。

 ……逡巡は、一瞬だった。

「では、僕たちは同胞だ」
 僕がはっきりとそう告げれば、フェルディナント君は驚いた顔でこちらを振り返って、それから、嬉しそうに声を上げて笑った。つられて僕も笑った。
「なんにせよ、明日だ」
「そうだな、明日だ」
 明日になれば、部隊を率いて僕たちは再びここに立つ。我々は共同戦線を張るが、味方同士という訳ではない。互いに、敵の敵であるという共通認識があるだけだ。それでもかつての友を、同胞だと――叶うこともなければ、 叶えるつもりもない、同じ想いを抱えた仲間だと――そう定義付けることくらいは許されるだろう。
 沈みゆく夕陽は美しく、振り向いたフェルディナント君の姿を真紅に染めた。 背後に広がる大河は遠く、彼と、僕の想いを運んでいく。そして何処にも届かぬまま、いずれ何処かでゆっくりと沈むのだ。僕たちを此処に繋ぎ止める楔として。